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研究報告「江戸無血開城~山岡鉄舟の動向を中心に~」

こんにちは。1年の久保田です。
10月29日に行った研究発表に関して報告させていただきます。

今回の報告では、江戸無血開城の動向を、幕臣である山岡鉄舟を中心に考察をしました。

江戸無血開城といえば、勝海舟と西郷隆盛の会談を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。しかし、この会談の直前、駿府において、山岡鉄舟と西郷隆盛との間で会談が行われており、この山岡・西郷会談の結果を踏まえて、後の勝・西郷会談は進められていきました。

江戸に向けて新政府軍が迫る中、徳川慶喜は側近である高橋泥舟を新政府軍のもとへ派遣し恭順の意を伝えようとしますが、自身の身の危険を危惧し、高橋に代行者がいないかを尋ねました。そこで高橋の義弟である山岡鉄舟が挙げられ、慶喜はこれを承認しました。駿府行きを命ぜられた山岡は、勝のもとへ相談に行き、薩摩藩士の益満休之助と共に駿府へ向かいました。
駿府に到着した山岡は、西郷との面会を果たします。この山岡・西郷会談で初めて徳川家処分案が新政府側から提出されました。山岡はここで慶喜の備前藩御預けという点を保留し、江戸に戻りました。
西郷との会談の結果を山岡は勝に報告し、勝は品川まで迫っている西郷に書を送り、面会を要求しました。
これを受けて、勝と西郷の会談が江戸の薩摩藩邸で2日間に渡り行われました。この会談で勝は、山岡が持ち帰った新政府軍の降伏条件を改定した嘆願書を提出しました。西郷はこの件を総督府に持ち帰り、そこで結論が出なければ京都まで戻るとし、江戸総攻撃は中止としました。
その後、新政府側の回答は、勅使によって江戸にもたらされ、慶喜は水戸藩に御預けの処分に決定しました。

以上のことから、江戸無血開城において、駿府での山岡・西郷会談が果たした役割は大きいのではないかと考えました。

今回は初めての研究発表ということで、レジュメのミスなどが目立ち、多くの点を諸先輩方から御指導頂きました。ありがとうございました。この研究発表で学んだことを活かし、今後の活動に繋げていきたいと考えています。

今年も残すところ約2か月となり、段々と寒さも増して参りました。風邪などに気を付け、残りの活動に精進していきたいと思います。

以上で報告を終わります。
ご清覧いただきありがとうございました。
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