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研究報告「明治期における徳川慶喜の動向」

こんにちは。
3年の小林です。
寒くなってきましたね。クリスマスをすっ飛ばして早く年が明けないかなとうずうずしています。

さて、12月5日に行われた3年生の研究報告で、私は明治維新後の徳川慶喜の動向について発表しました。

慶喜は徳川幕府最後の将軍としてはよく知られていますね。大政奉還を行い、幕府を終了させた将軍様です。
鳥羽伏見の戦いの敗北によって朝敵とされ、新政府軍の討伐対象となり、のちに水戸、静岡での謹慎生活を迫られます。
慶喜は明治期に入ると謹慎先で多種多様な趣味(銃猟、鷹狩、油絵、写真、能、囲碁など)を楽しむようになります。
今まで関わってきた政治の事には一切触れなくなり、そういった話題にも耳を貸さなかったそうです。

しかし老齢化が進み、健康面の不安から、静岡から東京に移り住むと慶喜は有栖川宮威仁親王と交流を深めていき、ついに明治天皇と面会できる事になりました。
これによって慶喜は朝敵を許され、後に爵位の最高位である公爵を授与されます。
慶喜は晴れて華族の仲間入りを果たしました。

若年時代から激動の時代を生き抜いてきた慶喜がようやく報われた瞬間です。

その後は今までなにかと理由を付けて断ってきた定例の参内を欠かさなくなり、慶喜は近代天皇制国家に順応していったと言われています。


将軍時代とはかけ離れた謹慎生活を過ごし、ほぼ趣味に生きた壮年時代、一体慶喜は何を思って過ごしていたのでしょうね。
慶喜は後年自分の思いを語ることは無かったと言われているので想像するしかありませんが、酷く虚しく、悲しい時代だったのではないでしょうか。


今後はさらに慶喜の周りの人物にも焦点を当てて理解を深めていきたいと思います。


以上です。
ありがとうございました。
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