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駒澤大学の公認団体「幕末維新史研究会」の活動ブログです。

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3年生研究発表のお知らせ

こんにちは。3年の大澤です。
本日は、3年生の研究発表の日程についてお知らせいたします。
また、後期から活動に参加してくれた2年生1名にも発表してもらいます。

12/3(月)18:00~
教場:7-403

○梁斌(2年生)
「井伊直弼を巡っての一考察」

○大澤芙実
「朝幕関係再編と朝廷権威の推移」

12/4(火)18:00~
教場:7-402

○辻菜々子
「幕末期民衆の情報空間と活用」

○榎本未涼
「幕末の軍楽隊の意義~幕府とフランス軍事顧問団を事例に~」

○永田仁大
「島津斉彬と島津久光の相互認識について
–安政6(1859)年以前の久光を中心に–」


以上となります。

よろしければお越しください。
失礼いたします。
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11月27日の活動報告

こんにちは、3年の永田です。
私からは、通常活動の報告をさせていただきます。

今回の活動も、くずし字を解読していきました。

資格講座を受講している関係で、久しぶりに通常活動に参加しましたが、大変驚きました。
後輩たちが、後期の始めより読めるようになっているということです。

特に、2年生!
1年を指導する姿に、大変感動しました。
来年度の幕維が大変楽しみです。

そして…
来週はいよいよ3年のレジュメ発表です。
同期の報告が、非常に楽しみです。
私も報告に向け、『鹿児島県史料 玉里島津家史料』を読んでおります。
報告を通して、これまでの研究成果を示せればなと思っております。

以上で、通常活動の報告を終わります。
ありがとうございました。

11月20日の活動報告

こんにちは。3年の辻です。
合宿ブログばかりで、活動報告は久しぶりですね!また、諸事情により通常活動も久しぶりの参加だったので、張り切って報告したいと思います!!

今回は、前回配られたくずし字史料を予習してからの学習となりました!
史料批判や読み下しはまた次回とのことだったので、ここでは、内容やタイトルは伏せたいと思います(自分自身が自信ないとか、とてもじゃないけど言えない)。

私自身久しぶりにくずし字史料と向き合いましたが、あれですね、「継続は力なり」とは本当の事で、しばらく会ってなかったものですから詰まる所がありました……。「あー見たことあるんだけど、君誰だっけなぁ。」という場面が多々ありまして。悩んでいたら、副チーフが助け舟を出してくれました。ありがたいです。後輩の前なのでかっこよく決めたかったのですが、そのためにはくずし字を継続して読む必要がありますね。当たり前ですけれど。博物館でたまに読む程度ではダメなようです。
そして驚いたのは、1年生の読解力です!ペアになった子がすらすらとくずし字を読んでいたので、先輩はとても心強かったです。笑

後輩の伸び代を見せつけられたので、私も負けてられないなと思いました。「継続は力なり」下田合宿に向けて若い力に負けずに頑張っていきたいです。

ここからはお知らせですが、そろそろ3年生のレジュメ発表も近くなってきたので、そちらにも力を注いでいく所存です。
長くなりましたが、以上で活動報告を終わります。ここまでお読みくださり、ありがとうございました!

11月13日の活動報告

こんばんは。3年の大澤です。
活動報告のブログを書くのは久々ですが、はりきって書いていこうと思います。

11/13の活動では、前回に引き続き、徳川林政史研究所所蔵の「地震ニ付倒家等難渋之者共御救被下候一巻」というくずし字史料の講読を行いました。

嘉永7年に起きた、安政南海地震・東海地震で被災した領民に対する尾張藩の対応が記されており、とても興味深い内容の史料でした。

史料内に金銭に関する記述があったため、その下調べとして、金や銀の単位について調べたのですが、とてもややこしいですね。完璧に理解するのには少し時間がかかりそうです。

前回前々回の史料講読同様、1年生に担当箇所をわりふって、黒板に書いてもらいました!その様子をどうぞご覧ください!

20181113230952d95.jpg


皆さん特に間違いも無く、非常に優秀でした!
下田合宿での活躍が期待できそうです!

また、史料講読終了後、論文集翔龍の制作手引を会員に配布しました。そろそろ翔龍制作が始まるので、気を引き締めねばなと思っている今日この頃です。

それでは、このあたりで報告を終わりたいと思います。ここまでお読み下さり、ありがとうございました。

11月6日の活動報告

皆さん、こんにちは。
後期より活動に参加した、留学生のりょうひんです。
初めてブログで文章を書いたので、もし、変な日本語を使ったら、ご了承ください。
今回の活動の時に配られた崩し字の史料は、前回と前々回の史料より、かなり難しく感じました。仮名文字は数カ所に出て来て、作者も特別な書き癖がありました。その原因で、皆さんが解読する時に、非常に苦労したでしょう。

これにて活動報告を終了いたします。
読んでくださり、ありがとうございました。

研究報告「江戸無血開城~山岡鉄舟の動向を中心に~」

こんにちは。1年の久保田です。
10月29日に行った研究発表に関して報告させていただきます。

今回の報告では、江戸無血開城の動向を、幕臣である山岡鉄舟を中心に考察をしました。

江戸無血開城といえば、勝海舟と西郷隆盛の会談を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。しかし、この会談の直前、駿府において、山岡鉄舟と西郷隆盛との間で会談が行われており、この山岡・西郷会談の結果を踏まえて、後の勝・西郷会談は進められていきました。

江戸に向けて新政府軍が迫る中、徳川慶喜は側近である高橋泥舟を新政府軍のもとへ派遣し恭順の意を伝えようとしますが、自身の身の危険を危惧し、高橋に代行者がいないかを尋ねました。そこで高橋の義弟である山岡鉄舟が挙げられ、慶喜はこれを承認しました。駿府行きを命ぜられた山岡は、勝のもとへ相談に行き、薩摩藩士の益満休之助と共に駿府へ向かいました。
駿府に到着した山岡は、西郷との面会を果たします。この山岡・西郷会談で初めて徳川家処分案が新政府側から提出されました。山岡はここで慶喜の備前藩御預けという点を保留し、江戸に戻りました。
西郷との会談の結果を山岡は勝に報告し、勝は品川まで迫っている西郷に書を送り、面会を要求しました。
これを受けて、勝と西郷の会談が江戸の薩摩藩邸で2日間に渡り行われました。この会談で勝は、山岡が持ち帰った新政府軍の降伏条件を改定した嘆願書を提出しました。西郷はこの件を総督府に持ち帰り、そこで結論が出なければ京都まで戻るとし、江戸総攻撃は中止としました。
その後、新政府側の回答は、勅使によって江戸にもたらされ、慶喜は水戸藩に御預けの処分に決定しました。

以上のことから、江戸無血開城において、駿府での山岡・西郷会談が果たした役割は大きいのではないかと考えました。

今回は初めての研究発表ということで、レジュメのミスなどが目立ち、多くの点を諸先輩方から御指導頂きました。ありがとうございました。この研究発表で学んだことを活かし、今後の活動に繋げていきたいと考えています。

今年も残すところ約2か月となり、段々と寒さも増して参りました。風邪などに気を付け、残りの活動に精進していきたいと思います。

以上で報告を終わります。
ご清覧いただきありがとうございました。

研究報告「幕末期における剣術の発展と衰退」

こんばんは。1年の坂脇です。
10月29日に行った研究発表について報告させていただきます。

今回は「幕末期における剣術の発展と衰退」という題で、ペリー来航後からの幕府の政策と明治維新後の新政府の政策を中心に剣術の栄枯盛衰について考察しました。

今回の報告では、徳川期からの剣術の実態を明らかにした後に、他流試合禁止の解除や講武所の竣工などの幕府の武芸稽古奨励の政策、明治維新後の廃刀令が発布された後に、警察署や「撃剣興行」という見世物として剣術がどのように扱われたかを考察しました。

今回の報告は先行研究を見つけることができなかったことや史料を上手に活用できず、実証力が弱くなってしまいました。また、初めてのレジュメ作りに戸惑い、概説みたいになってしまったことが反省でした。
今後は撃剣興行など視野を狭めて、深く考察していきたいです。

今回はたくさんの先輩方に聞いていただき、様々なご指摘をして頂きました。
心より御礼申し上げます。
また、今回の指摘や反省を翔龍作成に向けて活かしていきたいと思います。

以上で報告を終わります。
ありがとうございました。

研究報告「明治維新期におけるフランス革命観」

こんばんは。1年の中根です。
10月23日に行った研究発表について報告させていただきます。

私は今回初めての発表ということで、少し緊張していましたが、最後まで聞いてくださり、誠にありがとうございました。
今回は「明治維新期におけるフランス革命観」という題で、近代国家の成立に伴う文明開化期に、フランス革命がどう人々の間に伝わり、影響を与えたかを、様々な史料をもとに考察しました。
近代化を急ぎ、西欧列強に負けない国づくりに邁進した明治時代に海外からフランス革命が伝わり、多くの知識人達に知られ影響を与えました。
今回の報告では、明治時代の著名な3人の知識人達の著書から引用した史料を用いて、もっとも影響を与えたのが啓蒙思想であり、フランス革命について悲観的な部分も感じていたことを明らかにし、それが文明開化期の文学発達の顕著な現れであることを示し、後々に影響を及ぼすことを考察しました。
今回は初めてということで、まだまだ改善すべきところがほとんどで、殆ど事実内容を列挙したような発表になってしまいました。論文を用いて、それまでの先行研究を調べた上で、史料をもとに考察していくことが大事だということを、先輩のアドバイスから学ばせていただきました。先輩方からの多くのアドバイスを活かしてさらに良い内容のものを作っていきたいです。


以上で報告を終わります。
ありがとうございました。

研究報告「島田髷と江戸後期の結髪文化」

こんばんは!1年の山本です。
10月23日に行いました、研究発表のご報告をさせていただきます。


今回、私は 「島田髷と江戸後期の結髪文化」 をテーマに江戸時代後期の女性たちの結髪…
いわゆる日本髪が女性にとってどのような立ち位置にあったのか、
またそのスタイルの流行はどういったものなのかを考察いたしました。


町人文化の栄えた江戸時代において、歌舞伎役者や花街の女性から流行し、余裕の生まれた町人階級の女性たちが工夫した髪型は多種多様なものでありました。

中でも江戸後期に流行した島田髷は、元は東海道島田宿のの遊女が結い始めたとされているものですが、
結い方によって職業や階級、年齢や趣味などの条件によるニーズに応えられるものであったと考えられます。

また、江戸後期においては豪華絢爛なものよりも「いなせ」と呼ばれる質素なスタイル、髷も高く結い上げたものよりも平らなものが好まれていました。現代でいう「こなれ感」のようなものですね。

今回の報告では、島田髷およびつぶし島田、という髪型を中心に考察いたしました。
そして、江戸期の結髪の様式は女性にとっての「お洒落」という部分だけではなく女性自身の立場を表現しやすいものであるという結論に至りました!
今後は論文にも目を通しながら、西洋文化の影響を受けた近代の女性の結髪や服飾についても勉強したいと考えております。


先輩方からは幕維スタイルのレジュメの作成についてや、史料の使い方など、きめ細やかなご指導を賜りまして、ありがとうございました。
また初回の報告は同期に励まされながらなんとか終えることができました…。同期にも感謝しています。


以上で報告を終わります。
今後も精いっぱい邁進して参ります!ありがとうございました。


研究報告「幕末期における水戸天狗派と民衆への影響」

こんにちは。1年の赤井です。
10月23日(火)に行った研究発表について報告致します。

今回の報告では、徳川御三家の水戸藩から発生した尊攘激派である天狗派(天狗党)の動向と、水戸藩領内をはじめとした諸地域の民衆に天狗派が与えた影響について考察しました。

まず、天狗派の金穀徴発に着目しました。
天狗派は元治元(1864)年の筑波山挙兵の以前から民衆から金をはじめ、武器や食料を徴発していました。この徴発は暴力行為を伴うものや、従わない村があると焼き討ちするなど大変過激で残虐なものでした。これが原因で民衆の天狗派に対する不満や怒りが募り、のちに民衆は天狗派に対して反乱を起こしました。
発表に際して『波山記事一』という史料を用いました。当時の天狗派の動向や村の焼き討ちの様子、戦闘の様子が臨場感たっぷりに記されている史料で、当時の状況を知るには最適でした。今回、初めての研究発表ということで史料の活用に苦戦しましたが、このような当時の情勢を鮮明に伝えてくれる史料を活用し、深く比較検討できるようになりたいと思います。

天狗派に対して怨念を持っている民衆は、天狗派の敵対する組織である「諸生派」と次第に結びつきます。本報告でも諸生派と民衆の結びつきについて考察しました。
鯉淵農兵や河和田勢といった農兵は天狗派の人間を殺害し、家宅を放火するなど天狗派に抵抗しました。また、諸生軍に取り込まれ水戸城下で天狗党と戦闘するなど民衆は農兵として活躍しました。
天狗派と敵対する勢力側の考察をすることで論に客観性を生じさせることができたと思います。


天狗派の行動は水戸藩をはじめ、幕府、諸生派、そして民衆に多大なる影響を与えました。天狗派は尊攘実践と横浜鎖港という目的を持っていましたが、軍資金の不足や民衆の抵抗に悩まされ、過激な行動を取らざるを得なかったのだと考えられます。やがて民衆が諸生派と結びつくと天狗派の孤立はますます深まることとなりました。


初めての研究発表ということで、レジュメ作りから史料探しまでとても苦戦しました。不慣れな点が多くありましたが、さまざまなご質問やご指摘をしていただきました。
心より御礼申し上げます。
今回の研究発表で学んだことを翔龍作成に生かしたいと思います。


以上で報告を終わります。
ここまで読んでいただきありがとうございました。

研究報告「品川台場の立地環境」

こんにちは。1年の手島です。
10月22日に行った研究発表について報告させていただきます。

今回は「品川台場の立地環境」という題で、品川台場建築時の史料や地図を用い、台場の立地環境とその背景について考察しました。

品川台場は、1853年のペリー来航後、江戸湾の海防強化のために江戸幕府が作らせたものです。計画当初は全11基を作る予定でしたが、財政が苦しい状況にあったので、結局完成に至ったのは5基にとどまりました。

築造時、厳しい財源で短期間で完成させるために、江戸湾の特に浅い部分を埋め立てました。そして台場前方の水深は5メートルに満たない浅瀬が続くことになり、喫水の深い大型の艦船は近づくことはできなくなりました。

また計画当初の11基で防衛"線"を作り、小型船に対応しようとしていたようですが、8~11番は計画から外されてしまったため、不完全なものとなってしまいました。

それでも、海岸沿いに並んだ台場とともに2重の防衛形態をとることで、防衛としての機能を発達させました。
ペリー2度目の来航までに完成には至りませんでしたが、廃止されるまで外国船による武力行動の抑止力として機能していくことになります。

今回は地形を中心にみてきたことで視野が狭くなり、品川台場の立地がどれだけ優れているのか、設計した江川太郎左衛門がどれほど考えたものなのかわからないままになってしまいました。今後は、同時期に築造された全国の台場と地形以外のところでも比較して、その立地環境について改めて考察していきたいと思います。
また江川の史料も調べることができなかったので、それもふまえてやっていきたいです。
先輩方からも多くのご指摘をいただきました。これからの活動に生かしていきたいと思います。ありがとうございました。


以上で報告を終わります。
ありがとうございました。

研究報告「ペリーら米国が感じた日本の役人と庶民の異人に対するまなざしの違いーペリー来航の目的ー」

こんばんは。1年の長谷川です。
10月22日に行った研究発表について報告させていただきます。

今回はペリー来航の目的をアメリカ側から見た日本人に視点を置き考察しました。

ペリーらは日本に来航した際に日本の役人と庶民と多く交流しました。その多くの交流の中で役人と庶民とではアメリカ人に対する対応が違うとペリーらは感じていました。役人はアメリカ人と触れ合うことにとても慎重で庶民とアメリカ人が交流することをなかなか許さなかった一方で庶民はとても友好的にアメリカ人と触れ合ったとペリーらの記述に残っています。そしてこの状況は彼らにとって日本との交渉を進める上で壁になったと考えられます。

今回の報告ではこの日本人との交流の記述から貿易だけではないペリー来航の目的があるのではないかと考え、考察しました。

今回はアメリカの視点から考察したため自分の考察を裏付ける史料が少なく自分の考えが多くなってしまいました。また、アメリカ側に縛られすぎて日本側の史料からの考察もすることができませんでした。今回、先輩方からいただいたアドバイスをもとに今後の研究を進めていきたいと思います。



以上で報告を終わらせていただきます。
ありがとうございました。

研究報告「黒船来航期の民衆への情報の広まり-武蔵国川越藩を例にとって-」

こんばんは、1年の原島です。
10月22日に行った研究発表について報告します。


今回の発表では、黒船来航が民衆にどれだけ影響を与えたのかということについて、川越藩の有力な名主であった林信海の史料から情報の面に焦点をあて、考察しました。


川越藩は、江戸時代の海防政策の最前線に立たされていた藩でした。そのため、黒船来航は川越の民衆にとって目の前で起こった衝撃的な事件でした。夫人足として多くの民衆が警備に動員され、川越付近には街道が多く存在したため、助郷負担や、金銭的負担が激増しました。その結果、民衆から藩や奉行所に免除の嘆願書が提出されています。


今回は、レジュメのミスが目立ったこと、活字史料が少なく、史料があまり提示できなかったことなど、研究の大変さを痛感させられました。また、先輩方から多くのご指摘、アドバイスを頂きました。今後の活動に活かしていこうと思います。ありがとうございました!


今年の活動も残りわずかですが、少しでも成長出来るように精進して参ります。


以上で報告を終わります。
ありがとうございました。