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駒澤大学の公認団体「幕末維新史研究会」の活動ブログです。

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グループ研究報告

こんにちは、2年板垣です。
ブログ更新が遅くなって申し訳ありません。
今年のグループ研究の報告をします。

今年のグループ研究は、一会桑の3グループに分かれて行い、私は一橋派のグループに属していました。
「幕末期における徳川慶喜の動向」ということで、将軍継嗣問題、王政復古(大政奉還、小御所会議)、戊辰戦争それぞれにおける徳川慶喜の動向についてまとめました。
私は将軍継嗣問題について主に担当しました。
ペリー来航によって緊迫した対外情勢を解決すべく、南紀派と一橋派に分かれて徳川慶福と一橋慶喜を擁立しようとし、様々な思惑が飛び交っていました。

今回のグループ研究では、3年生の小林先輩に頼ってしまうことが多かったので、来年は自分たちが主体となって、後輩たちとともにグループ研究を成功させたいと思います。

以上で報告を終わりにします。
ありがとうございました。
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研究報告「明治政府とキリシタン問題―岩倉使節団を中心に―」

こんにちは、またまたまた登場しました
3年の武野です。

遅くなりましたが、12月5日に行いました
研究発表について報告いたします。

今回私が取り上げたのは明治政府とキリシタン問題の関わりです。

江戸時代に鎖国体制をとった理由としてキリシタン問題が挙げられます。
幕末になり日本は開国しますがキリスト教禁教は撤廃されず明治政府も禁教政策を踏襲します。

日本では様々なキリシタン問題が起こります。
特にキリシタン問題を代表する事件、
浦上四番崩れが起こると諸外国から抗議を受けました。
しかし、日本は態度を変えませんでした。

理由として挙げられるのは
島原天草一揆のような反乱がまた起こるのではないかなどキリスト教に対する邪教観などでした。

条約改正の予備交渉や文化などの視察を目的に
派遣された岩倉使節団はキリシタン問題が原因で
訪問先で交渉が難航します。

岩倉使節団を含めた明治政府の要人たちは
キリシタン問題についてどう考えていたのでしょうか。
今回挙げたのは4人。
岩倉使節団では、岩倉具視、木戸孝允はキリスト教解禁に反対し
伊藤博文はキリスト教解禁を強く求めていました。
岩倉はキリスト教が嫌いであったと言われていて
木戸はキリスト教解禁にしたら国内で混乱が生じると
書簡で述べていました。
もう1人、留守政府にいた井上毅。
彼はキリスト教の流入をどのように防ぐか考えた「外教制限区意見案」を起草しています。

キリスト教禁教政策は五榜の掲示の撤廃により
事実上集結します。
条約改正のために妥協したのではないかという
考えがあります。
その後、大日本帝国憲法により信仰の自由がようやく認められました。

総括すると、明治政府はキリシタン問題に関しては曖昧な態度をとり諸外国と交渉を行っていたことがわかりました。
黙許案だったり「近々解禁するけどまだしない」など参考文献や史料を読んでいくうちに
いつまで曖昧な態度をとるのかとツッコミを入れたくなりましたが
当時の日本にキリスト教がすぐに受け入れられる
環境ではなかったのでしょうね。

今後は卒論に向けて取り上げる内容を絞って
掘り下げていきたいと思います。

今回で幕維での研究発表は最後でした。
3年経っても発表は緊張しましたし
レジュメ作成も最後まで苦労する結果となりました。
しかし、1年時、2年時のレジュメと比べると
少しですが成長したのでは…と感じます。

さて、明日は今年度の定例活動最終回
となりました。
1年あっという間に終わりますね。

以上です。
ありがとうございました。

研究報告「明治期における徳川慶喜の動向」

こんにちは。
3年の小林です。
寒くなってきましたね。クリスマスをすっ飛ばして早く年が明けないかなとうずうずしています。

さて、12月5日に行われた3年生の研究報告で、私は明治維新後の徳川慶喜の動向について発表しました。

慶喜は徳川幕府最後の将軍としてはよく知られていますね。大政奉還を行い、幕府を終了させた将軍様です。
鳥羽伏見の戦いの敗北によって朝敵とされ、新政府軍の討伐対象となり、のちに水戸、静岡での謹慎生活を迫られます。
慶喜は明治期に入ると謹慎先で多種多様な趣味(銃猟、鷹狩、油絵、写真、能、囲碁など)を楽しむようになります。
今まで関わってきた政治の事には一切触れなくなり、そういった話題にも耳を貸さなかったそうです。

しかし老齢化が進み、健康面の不安から、静岡から東京に移り住むと慶喜は有栖川宮威仁親王と交流を深めていき、ついに明治天皇と面会できる事になりました。
これによって慶喜は朝敵を許され、後に爵位の最高位である公爵を授与されます。
慶喜は晴れて華族の仲間入りを果たしました。

若年時代から激動の時代を生き抜いてきた慶喜がようやく報われた瞬間です。

その後は今までなにかと理由を付けて断ってきた定例の参内を欠かさなくなり、慶喜は近代天皇制国家に順応していったと言われています。


将軍時代とはかけ離れた謹慎生活を過ごし、ほぼ趣味に生きた壮年時代、一体慶喜は何を思って過ごしていたのでしょうね。
慶喜は後年自分の思いを語ることは無かったと言われているので想像するしかありませんが、酷く虚しく、悲しい時代だったのではないでしょうか。


今後はさらに慶喜の周りの人物にも焦点を当てて理解を深めていきたいと思います。


以上です。
ありがとうございました。

3年生の研究発表のお知らせ

こんばんは、遅くに失礼します。
またまた登場しました、3年の武野です。

今回は3年生のレジュメ発表についてお知らせいたします。
またもや直前のお知らせで申し訳ありません。


12/5(火) 18:00~ 7-405教場にて

小林七海「明治期における徳川慶喜の動向」

武野ふたば「明治政府とキリシタン問題の関わり       -岩倉使節団を中心に-」


3年にとって幕維での研究発表は
今回で最後となります。

3回目というもののレジュメ作りに苦戦するのは
毎度毎度のことです。

聞きに来られる方にお願いです。
どうぞお手柔らかに…。
お時間ある方は是非いらしてください。

11月23日の活動報告

こんにちは、2年の廣井改め板垣です。
諸事情で苗字が変わりました。
よろしくお願い致します。

寒さは厳しさを増し、冬将軍の足音も聞こえてくる季節となりました。
世には、クリスマスにひとりぼっち、いわゆるクリぼっちという言葉が存在しますが、御多分に洩れず私もそのひとりです。悲しいことこの上ないですね。
クリスマスソングが耳に痛い今日この頃です。

さて、今回の活動報告です。
史料講読は前回に引き続き、くずし字を読みました。

後輩もメキメキと力をつけてきており、辞書を使えば、大抵の文字は読めるようになってきました。
下田合宿へ向けて、できる限りの準備をしたいと思います。

グループワークでは、レジュメ発表に向けての最終打ち合わせが行われました。
私は一橋班に所属していますが、他の班がどのような発表を行うのか楽しみです。

以上で報告を終わります。
ありがとうございました。