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Author:bakui
駒澤大学の公認団体「幕末維新史研究会」の活動ブログです。

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研究報告「慶応期における諸藩の軍政改革-長州藩・佐賀藩を中心に-」

3年の柳沢です。
先日、「慶応期における諸藩の軍政改革-長州藩・佐賀藩を中心に-」の研究報告を行いましたので、報告させて頂きます。

今回取り上げた内容は、主に慶応期の両藩の軍制改革の目的と、
長州・佐賀藩の家臣団再結成等について取り上げました。

長州藩の軍政改革の目的のとして第一次長州征討の後、第二次長州征討への対応が挙げられます。
この改革では、武器の近代化・管制改革による軍事力統一、それに伴う実権の集中が行われた。
これにより、軍の指揮系統を1つに纏め、軍全体の指揮力を高めました。
また、軍事体も拡大し、火術を習得する事を命じました。

一方佐賀藩では、長崎警備を行っていた関係から外的な目的の為に軍を備えていましたが、慶応期には、佐賀藩の国内情勢が悪化し、国内戦へと目的を変えて軍制改革を行いました。
佐賀藩においては、経済情勢も悪化しており、軍拡大はあまり行わず、所謂軍の質を高める形の軍改革を行いました。

長州藩は先の戦いに備えた軍拡張を行い、軍制の改革を行いました。
しかし佐賀藩は、軍拡大ではなく、既存の兵に火術習得を命じました。


今回は、長州・佐賀藩における慶応期の軍制改革を、目的を踏まえてどのように行ったのかを研究しました。
しかし、概説的な内容となってしまいました。
また、今回は軍に限定して研究を行いましたが、次回は佐賀藩を調べた際に出てきた国内情勢及び経済情勢を合わせて研究したいと思います。


最後に、私は幕維の存在を知ってから駒沢大学への進学を決心しました。その幕維で、小泉先生をはじめ、先輩方や同期・後輩のおかげで入学してから3年間の通常活動を充実したものにする事が出来ました。振り返ってみると、この3年間はあっという間に過ぎておりました。これは、充実していたからこその早さなのだなと感じています。
通常活動は最終回を終えてしまいましたが、翔龍作成が控えております。1年の集大成を形と残す大事なものになります。後悔のないよう、引き継ぎ研究をしていきたいと思います!

以上で報告を終わります。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
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グループ研究報告「安政江戸地震

こんにちは。
前の記事に引き続き、3年の鹿野結麻です。
続いて、今年のグループ研究の発表もありましたので、その報告をしたいと思います。

今年のグループでは、災害をテーマとして、2つに別れました。
そして、私たちのグループは江戸を中心に考え、最終的に安政江戸地震を主軸として鯰絵の関連性について考察しました。

安政江戸地震は安政2年に発生した江戸直下型の震度は推定7の大地震でした。
この地震の結果、多くの人が亡くなり、江戸在住の人々の心は不安でいっぱいであったことが想像できます。
それは、地震直後に発行されたとみられる鯰絵にも見ることができます。
ですが、復興状況に伴って描かれる鯰絵にもユーモアさが見られるようになります。

(途中)

研究報告「阿部正弘政権下における海防掛の役割」

こんにちは。3年の鹿野結麻です。
今回は、先日行われました3年の研究発表について報告させていただきます。

私は「阿部正弘政権下における海防掛の役割」という題名で発表致しました。
今回扱った海防掛とは、弘化2年に阿部正弘政権下で組織された幕府の諮問機関のことを示します。
この海防掛という組織は、常に諮問機関として機能していましたが、ペリー来航前後で、役割や機能の仕方を分けて見ることができます。
ペリー来航前は、日本近海を行き来する外国船に対する海岸防備や外国船への対応についてを阿部に上申するといった機能が主となっていました。ペリー来航後になると、直接外国人に応接し、条約交渉にあたる機会が増えていきます。
海防掛人員の役割は、外交官のような役割を強めていきます。
また、阿部が提案した海防政策に意見し、それに諮問した結果、阿部が政策施行を断念した例もありました。
このようなところから、海防掛が諮問機関として存在していただけではなく、幕府内部において影響力のある組織であったことが伺えます。

今回は、内容がとても薄くなってしまい、他機関との関わりや具体的な例をほとんど挙げることができませんでした。
そのようなところも翔龍では、触れていきたいと考えます。そして、次の研究に活かしていきたいです。

最後となりますが、
今回で幕末維新史研究会での研究報告は最後になりました。
3年間、ご指導頂いた小泉先生や諸先輩方、そして共に3年間活動してきた同期、後輩の皆に、この場をお借りして御礼申し上げます。至らない点も多かったと思いますが、3年間ありがとうございました。

以上で報告を終えます。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

研究報告「会津戦争降伏後における会津藩士の動向ー斗南藩を中心にー」

こんばんは、3年の大和田です。
今年の下田合宿ぶり、久々のブログです。
今日は最後の活動日でした。
本当にあっという間で、感慨深いです。

先日、「会津戦争降伏後における会津藩士の動向-斗南藩を中心に-」と題し、発表をさせていただきましたので、その報告をします。

明治元(1868)年、会津戦争で降伏した会津藩士たちは、一時謹慎の後、藩士たちの家名再興運動もあり、同3年に陸奥国3万石の斗南藩として復活しています。
一度は家名再興を果たした旧会津藩でしたが、同4年の廃藩置県により再び解藩となってしまいます。

今回は斗南藩に焦点を当て、旧会津藩士の敗者としての意識に触れつつ、その動向を追い、明治という時代をいかに生きていたのかを考察していきました。

旧会津藩士たちは慣れない下北の地で、過酷な生活を送りながらも、「自主の民」として自立する道を模索していました。
しかし、明治政府の救援無しで生活していくことは不可能で、結果的には明治政府が形成していく近代国家に吸収されていくことになります。

今回の発表は旧会津藩士の動向を限定的に概説しているに過ぎないものになってしまいました。
今後、斗南藩に属す以外の道を辿った藩士たちや、明治政府側の意向にも注目し、さらに会津藩士の動向について調べていきたいと思っています。

最後になりましたが、冒頭でも述べたように、本当にあっという間で、充実した研究会活動でした。
小泉先生をはじめ、先輩方や後輩の皆さんのおかげだと思っています。ありがとうございました。幕維に入って良かったと心から思います。

勝手にしみじみと感傷に浸っておりますが、私の仕事はまだまだ終わっていません。寧ろこれからです。大事な翔龍の編集が残っています!
今年も良い一冊を届けられるよう、努めていきたいと思います。
鬼の江口ならぬ鬼の大和田になるかもしれませんが、皆さん、ご協力よろしくお願いします!

以上で報告を終わります。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました!

研究報告「近世村社会の情報網-村落上層民を中心として-」

 こんばんは。幕末維新史研究会3年早川と申します。
先日行われました3年研究発表についてご報告いたします。
私は12月1日(木)の1番始めに発表しました。今回の報告のテーマは「近世村社会の情報網-村落上層民を中心として-」です。
つまり近世村社会における情報収集網を先行研究をもとに考察をしました。
 まず、なぜこのテーマにしたのかということについてお話します。それは図書館でたまたま幕末期の風刺画や町人や豪農の日記を見て、これらの作成者は一体どこから情報を得ていたのかと疑問を抱きました。自分の体験談なのか、もしくは他人から聞いた情報なのか、どちらにしても風刺画や日記にはその当時の情報が載っていて、情報を残す手段だといえると思います。だとしたら江戸や大坂、京都などの都市部ではなく農村のような地域ではどのようにして情報を得ていたのか、またその情報をどう利用していたのかと知りたいと思いました。
 実際に調べ始めると、村では名主や在村の知識人が情報の源であり、彼らを通して情報のやり取りが盛んに行われていたのだと分かりました。ペリー来航や天災、大政奉還など今までにはなかったような出来事が重なり、幕府や諸藩だけでなく町や村の人々にとっても不安な世の中であったと思います。一般の人たちにとっては自分たちの今の生活をどう維持していくのかという情報こそ最も知りたい重要なことだったのではないかと思いました。
 今回は史料不足が目立ってしまい、非常に抽象的な発表となってしまいました。今後はしっかりと裏付けのある考察ができるように、多くの書籍、先行研究、史料を読もうと思っています。まだ翔龍や卒業論文が残っていますので、今まで幕維で得た知識をおおいにいかし、納得がいくまで自分の研究を追及していきたいと思っています。
 終わりに。私が今まで幕維のメンバーとして活動をしていけたのは小泉先生を始め、先輩方、同期のメンバー、後輩たちのおかげです。心より感謝いたします。幕維のメンバーは温かくて本当に頼りになる人ばかり、3年間ずっと甘えっぱなしだったと今頃になり反省しています。いつか恩返しできるように、とりあえず今は自分のできること(翔龍や残りの活動など)をしっかりこなしていきたいと思います。
以上、早川からの報告でした。
ここまで読んでいただきありがとうごさいました。

研究報告「後期水戸学と明治維新-水戸学の二重構造を中心に-」

こんにちは。3年の小笠原です。
12月8日(木)に行いました、研究発表のご報告をさせていただきます。今回は、「後期水戸学と明治維新-水戸学の二重構造を中心に-」というタイトルで、前年度に引き続き後期水戸学に焦点を当てた報告を行いました。

今回は、本質において支配思想であった後期水戸学が、維新のイデオロギーとして幕末期の志士たちに聖典視された理由について、後期水戸学の本質に言及した先行研究を念頭に置きつつ考察していきました。

今回取り上げだのは、後期水戸学の代表的な学者である会沢正志斎と藤田東湖の2名でした。会沢は『新論』、東湖は『弘道館記述義』が代表的な著作です。特に『新論』は尊王攘夷論のバイブルとして、多くの志士に影響を与えました。
『新論』を読んでいくと、会沢における後期水戸学は、所謂愚民観のようなものを持っており、武士を中心とした社会再編を説いていたことがわかりました。ややもすれば幕府を批判する論理であったと捉えられる可能性を内包しつつも、対外的危機感の下で幕府を支持する立場からなされた献策であったようです。
対して『弘道館記述義』で東湖は、国体の尊厳を社会の風俗(民衆の意識)に求めており、民衆一人ひとりが積極的に情勢に関心を持つことを期待しました。東湖の思想構想は、見方によっては草莽からの革命思想とも取れる要素を内包していたのです。

水戸学を代表する両者の考えに若干の相違がみられます。一枚岩の論と見られがちな後期水戸学ですが、実際には二重構造を持っていました。
よって、後期水戸学といえば『新論』、しかしその内実は東湖の思想、という曖昧な構造が、幕末期の志士たちに後期水戸学を独自に解釈させる道を与えたのではないかと考えられます。
今回は『新論』と『弘道館記述義』に焦点を当てた為、実際の明治維新への影響に関する研究が希薄になってしまったことが反省点です。具体的事例を挙げての影響の考察を課題としたいと思います。

最後に。
今回で幕末維新史研究会での研究報告は最後になりましたが、改めてこの様な機会を頂けたことの重要性を痛感しております。3年間、ご指導頂いた小泉先生や諸先輩方、そして共に3年間活動してきた同期、協力してくれた後輩の皆に、この場をお借りして御礼申し上げます。

また、江口も言っておりましたが、これからは本格的に1年間の集大成にあたる翔龍の製作が始まります。おざなりな論集にならない様に、一人ひとりの意識を高く持ちましょう。全員で協力して良い論集を作りたいと思います。

以上で報告を終わります。
長文失礼いたしました。

研究報告「農民剣術習得の意義-多摩郡を中心に-」

こんばんは。
3年の江口です。

今回は「農民剣術習得の意義-多摩郡を中心に-」という議題で報告させていただきました。
18世紀に入り国内では、幕藩領主の財政悪化・貨幣経済の普及による階層分化が進んでいました。これらの影響により増加した一揆・騒動・世直しと農民剣術の関係、また多摩郡における周辺環境の変化と農民剣術の関係から農民剣術習得の意義について考察していきました。

騒動の増加に際して剣術を習得している農民が増加していることから、町人百姓武芸習得禁令が出されます。ここから、農民ら(特に豪農)は騒動勢からの打ちこわし被害を危惧し、自主的に剣術を習得していたことが明らかになりました。今回取り上げた多摩郡では、郡内騒動の影響を多大に受けています。従来の騒動の形から大きく逸脱した郡内騒動に、自衛の意識が生まれたと考えられます。これに対して、農民らが剣術を習得する動きが強まるのは言うまでもなく、更に農兵たるものを組織化しようという考えが江川太郎左衛門によって建議されます。そして文久3(1863)年、農兵隊の設置が許可されました。農兵隊の設置目的は、海防と並んで管轄宿村内の治安維持があげられます。これが、農民の村内における自衛活動と合致していたと推測できます。以上のことから、農民剣術習得の意義は村の自衛だと言えるでしょう。

今回は史料の孫引きが多くなってしまいました。原史料を探すよう努めていきたいと思います。また以降これからも様々な文献を読み、見解を広げていきたいと思います。

最後に3年間ご指導いただいた小泉先生・先輩方、切磋琢磨してきた同期・後輩たちに感謝申し上げたいと思います。
研究会での研究報告は最後になりますが、今までの積み重ねを卒論に活かしていきたいと思います。
という前に、飛龍が待ち受けてますので大和田に怒られないよう早めに完成させたいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。